Early summer rain

家の窓から雨空を見上げるランス



ザ――――――……

先週の頭から降り始めた雨は、休日を目前に控えた今日になってもまだ続いている。
アパルトマン最上階のこの部屋に2枚だけある大きな窓の片方から、ランスは空を見上げた。雨粒が姿を消す時間こそ何度かあったものの、重々しい雲がまるで青空を手篭めにしているかのように、晴れ間が覗くことはなかった。

ザ―――…

眼下では、雨煙で色をくすませた無数の傘が、忙しなく行き交っている。一刻も早く屋根のある場所へ辿り着くために、速足で通り抜けているのだろう。
皆、この長雨に飽き飽きしているらしい。先程ここに帰ってくる時も、視界に入る人々はみな動作も緩慢になり、声にも覇気がなく、一様に曇った表情を浮かべて――つまり、湿気に由来する気怠さを露呈していた。
いくら恵みの雨とは言え、自然から離れて暮らす者の方が多い現代の生活では、快いものでないことは確かだ。
しかし。

ザ―――…

雨露に包まれて彩度が落ち、いつもの騒々しさが消えた景色。
窓の汚れを流れ落とそうとしているかのような雨水の脈動。
建物に当たった雨粒が砕けて飛び散る、輝く飛沫。
雨樋から水道管を通過する濁流の響き。
屋根や窓を雨雫が叩くリズム。
それらを眺めたり耳を傾けたりしていると、この天気もそう悪いものでも無い気がしてくる。

「ランス様、また外見てるデビか」

家族の声に我に返った。
「……そんなに見てたか」
「今日はほとんどずっとデビ」
「…………」
そんな自覚は無かったが、デビが言うならそうなのだろう。
特に意図や目的があるわけではないのだが、今日は何故だか外が気になって仕方がないのだった。実際、デビとの会話が途切れた今この瞬間も、無意識に窓の向こうに視線をやっていることに気付いた。
「はぁ……重症デビね……。や、こんなところ来てる時点で解ってたデビが……」
「重症?」
「しかも自覚なしデビ?!」
何やらデビが驚いている(そしてどうやら呆れ混じりである)ことまでは理解したところで、窓の外を黒い影が通り過ぎたのを目の端で捉えた。
「!」
「ランス様?」
「帰ってきた」
何かすることは、と考え、洗面所に向かう。
背後でデビのため息が聞こえた気がした。

***

「ただいまー」
「たったいままタマー!」
「なんだよそれ」
「なんとなくタマ。寒いからテンション上げないとタマ」
「ずぶ濡れなのに元気だなお前……ってあれ」

玄関から既に騒がしいタマゾーとエースを、苦笑しながらランスは出迎える。
「……おかえり」

「え、ランス!? あれ、今日からだっけ?!」
「明日の予定だったが。仕事が早く片付いた」
「そっか! ランスもおかえり!」
自分の姿を見るなり破顔したエースに、気恥ずかしさを覚え……たのも束の間。
「じゃ、折角だしただいまのチュー……」
「雫が垂れる。近寄るな」
「ぶっ」
ムードゼロで抱きつこうとしてくるエースに、持っていたタオルを投げ付けて静止した。

「湯を沸かしてある。入ってこい」
「え、うそ、すごい! あーそれで家の中あったまってるんだ、ありがとう! 一緒に入る?」
「俺はさっき入った」
「いいじゃん、2回目!」
「そのうちな。良いから冷える前に入ってこい」
「! 約束したからな!! 行くぞタマ……あれ?」
「は~、いい湯タマ~~~♪」
「っいつの間に! 温度いじってないだろうな?!」
バタン。

バスルームのドアが閉まると同時に、静寂が戻ってきた。
残ったのは雨の音と、浴室から漏れ出るわずかな物音。

「いちいち騒がしいやつらデビ」
「そうだな」
「……ランス様」
ランスの口角が上がっていることをデビは指摘しようか迷い、やめた。
「……デビも今度ランス様と一緒におフロ入りたいデビ」
「? 構わんが」
「!! 楽しみにしてるデビ!!」

***

「だーかーらー、温度変えて遊ぶのやめろって」
「あったかい方が嬉しいタマ」
「熱いの!!」
しばらくしてエースとタマゾーが出てくると同時に、また部屋を喧騒が満たす。

と、突然デビがタマゾーを引っ張りだした。
「白ダンゴ! お前は外でデビ様の晩酌に付き合えデビ」
「タマ? 風呂上がりになにバカ言ってるタマ。タマはこれから腰に手を当てミルクをぐいっと~」
「つべこべ言わず来いデビ!
 ランス様、デビは明日の昼に戻りますデビ。ごゆっくりデビ。
 エース! 初日だけは気ぃ遣ってやるデビ! ランス様に酷いことしたら許さないデビ!!
 ほら行くデビ白ダンゴ!!」
「嫌タマ~ミルクとゆで卵がタマを待ってるタマ~~」
「そんくらい奢ってやるからデビ!」
「(キリッ)苦しゅうない、さっさと連れてけタマ」
「💢💢」
「タ~マ~~」
バタン!と強い音を残して玄関が閉まる。

「…………」
「…………」
嵐が過ぎていったかのようだ。突然の展開に、残された2人は揃って固まってしまう。
「……えっと。デビと打ち合わせでもした?」
「いや……」
「そっか……」
「…………」
元々デビは2人が付き合うのに否定的であったし、今だってあまり肯定的ではない。それでも、ランスの様子を見て思うところがあったのだろう。

棚から水まんじゅうだ。折角だから有効活用しなくては、とエースは切り換える。そもそも以前から「デビの前ではスキンシップは控えろ」とランスに言い含められていたので(家族の前で気が引けるというのは共感したので言われた通りにしていた)、2人きりになれるのは素直に有り難い。

「デビにも気ぃ遣われちゃったことだし、改めてイチャイチャしよっか!」
「は?」
「ほら、今度こそ! ただいまのチュー」
「……」
煙たがられていそうなのを察しつつ、腕を広げ、目を閉じて唇を尖らせて待つ。
「……」
10秒ほど固まっていたようだが、やがて一歩踏み出す空気を感じた。そして顔に両手が触れる感触。
…………チュッ
柔らかいものが頬に触れた。

「いやいや、そーじゃないでしょ」
思わずツッコミながら瞼を開けると、視線が交わるや否や、ランスが顔を背ける。
ただでさえ横顔なのに、さらに伏し目がちなので、睫毛の長さが見てとれる。照れてる時ですら美しいのだ。
「~~ああもう、かわいいなぁ!」
今度は自分が彼の両頬を掴み、口づける。下唇を噛んでから舌を入れ、彼の舌を絡めとったり、上あごをなぞったり。たまに反応が返ってくるのを嬉しく思いながら、一通り戯れたあと、唇を離した。ランスを見るとややトロンとした、丸みを帯びた瞳孔が艶っぽい。
「あ~~~~、好き」
抱き締めると、一瞬彼の体が強張ったものの、すぐに弛緩していく。付き合い始める前後は抵抗されて大変だったから、これだけでも愛情を感じる。
「大好き~~」
彼の肩に頭をうずめ、オウカがしてくれるのと同じように、顔をこすりつけた。

***

エースに抱き締められる。
「大好き~~」
彼の頭の揺れに合わせて、髪が首筋に触れて、くすぐったい。
このままでも困るので、彼の背中に腕を回し、ぽんぽん、と軽く叩く。と、エースが顔を上げた。
「今日からは毎日一緒だな♪」
えへへ、と屈託なく笑う顔に心が暖まるのを感じる。
「半分以上は戻らないがな」
「そういうこと言うなって」

龍喚士の仕事場は、言うなればドラゴーザ島全土だ。日によって滞在地は異なるし、野宿になることだって少なくない。そのため、家で寝る日はさほど多くない。
長らくそんな生活だったので、元々ランスは家らしい家を持たなかった。見かねたヴァハトンが屋敷にランス名義の部屋を用意してくれたので、持ち歩く必要のない荷物はそこに置いていたが、あくまでクロッカスに滞在する時の拠点のような位置付けだ。クロッカスへの用事が無いときにまでわざわざ戻ることはなかった。
……なのに、アンジーヌさんの家を出て新しく部屋を借りたと言うエースから家の合鍵を渡され、何だかんだで今日この日を迎えたのだった。

「来るって分かってたら急いで帰ってきたのになー。けっこう待ったんじゃないか? 暇じゃなかった?」
ランスは一瞬考えて、答えた。
「いや」
運ぶのは着替えくらいしかなく、そこそこ早い時間に着いたのは確かだ。だが。
「外を眺めていた」
「外? ずっと雨じゃん。それ退屈するとこじゃないの?」
「そうでもない」
先程見聞きした景色や音を伝える。
「へぇ~。雨好きだったんだ」
「いや……昔は苦手だった」

雨の日は暗く、寒いことを知っている。ましてや翌日ともなれば、水路の水嵩が増す。幼い頃、特に両親を喪ってからデビに出逢うまでの間は、雨は恐怖の対象だった。
「今はもう何とも思わない。
 ――いや」
雨風凌げる屋根と壁があって。自分も持ち物も流される心配がなくて。大事な家族が一緒で。
そして、そろそろ恋人が帰ってくる部屋で眺める雨は。

「人を待っている間の気晴らしには、悪くなかった」

言葉を紡いだことで、自覚する。
(そうか、今日ずっと外が気になっていたのは――)

――彼が待ち遠しかったからだ。

一刻も早くエースの姿を見つけるために、代わり映えのない灰色の空を、あんなにも延々眺めていた。デビも呆れるわけだ。
自覚のなかった舞い上がりっぷりに今更ながら恥ずかしさが込み上げる。いま、顔を見られたくない。

「あー、それなんか分かるかも。そわそわしてる時とか淋しい時に雨音聞いてると、ちょっと気持ちが落ち着いて心地いいよな」
肝心のエースがこちらの様子に気づかないまま話を続けていることだけが救いだった。

ザ―――…

2人で外を眺める。まだまだ雨は降り止まない。
「……で? 待ち遠しくてそわそわしてたの? それとも淋しかった?」
「お前…………」
聞くな、と抗議の意味を込めて唇に噛みつくと、クス、という忍び笑いと共に受け入れられた。

唇が離れると、自然と目が合った。
自分を映すエースの瞳を見る。
あの頃、闇の中でもがき苦しんでいた自分を救い出してくれた時と変わらない。晴れた日の光り輝く海と、そして――いま皆が求めてやまない――青空の色だ。
それが今、すぐ触れられる距離にある。

(これは、俺だけのものだ)

この綺麗な“空色”を独り占め出来る優越感。全身を満たすように降り積もった幸福感を、目の前の彼と分かち合いたくてたまらない。
どう伝えたものか悩んでいると、耳元で囁かれる。
「……なぁ、ベッド行こう?」
体の熱と心拍数がますます上がるのを自覚しながら、ゆっくり頷いた。

あとがき

是非ともBGMとして 五月雨/柿原徹也 を聴きながら読んで頂きたいですね!!
公式音源見つからなかったんですがどうにかして聴いてください。せめて歌詞だけでも読んで。

上記の曲を聴いてて思いついた話です。エピソード的には歌詞の内容とベクトル正反対ですけども。
サビの「キミへの想い 降り続いてくよ」のところ、原曲は体外に零れてるのかもしれないけど、
自分にとっては幸福感というかたちで体の中にどんどん降り積もってく(満たしていく)イメージだったのです。

戻る

2020.05.01 upload