ともだち

炎山は来客用ソファから立ち上がり、同じように立ち上がった霜降りの男性とがっしりと握手を交わした。
「では…宜しく頼もう」
「必ず期待にお応えします」

ここはN社社長室。
たった今、巨額が動くビッグ・プロジェクトの最初の一歩が踏み出された。半年かけた交渉がようやく実を結んだのだ。
「全く、君の熱意には恐れ入ったよ」
「そうさせるほどの魅力を持っている技術ですので」
「はは、口が上手いな」
新商品にどうしてもN社の技術を取り入れたいIPCは、取り付くしまの無かったN社に熱心に口説き続け、ついに商談をとりつけたのだった。ここまでの道程を思うと胸が熱くなる。
今後の大体の予定を確認し、無事に話が纏まった。これから社に帰ったら忙しくなるだろう。
社長室を辞し、ビルの玄関までの道を社長と話しながら進む。
「それにしても、天下のIPCの副社長が君のような若い人だと知った時は驚いたが…真に優秀な人材には年齢など関係ないと思い知らされたな」
「三十路前にこれほどの会社を築き上げた貴方にそう仰って頂けると、私も鼻が高いです」
「はは、私がこの会社を立ち上げたのは君よりもずっと年上の頃だし、この規模になったのも運と部下に恵まれただけだろう」
そう言って目尻に笑い皺を作る初老の彼は、しかし謙遜の言葉とは裏腹の自信を匂わせる。それは大勢の人間の期待と責任を担っている者特有の表情だ。
「でも君はまだ友達と遊びたい盛りだろうに…大したものだ」
「お褒めに預かり光栄です」
炎山本人はさして気にしていないのだが、これが大人の総意らしい事は流石に理解していた。
そうこうしている内にエントランスに出た。挨拶をして、炎山はIPC行きのハイヤーに乗り込んだ。

***

「――というような事があったんだ。先週」
「ふーん」

相も変わらずIPC副社長室に邪魔しに来ているのは、皆さんご存知の光熱斗だ。
たまにふらりとやって来て何かしら喋っていく(そしてその話題は炎山にとって興味の湧かないものが大半を占める)のだが、今日もどうやらそれらしい。もし平時と違う点があるとすれば、いつもは相槌を打つ程度しか相手をしない炎山が、自分から話題を提供した事くらいだろう。
珍しく彼自ら語り出したのには、もちろん理由がある。熱斗が「昨日友達と動物園行ってさー」と語り始めたのを聞いて、先日の商談後の会話を思いだしたからだ。
気になる、という程ではない。それこそたった今まで忘れていたような、ほぼ社交辞令の会話だ。だが熱斗の使った単語を引き金にそのフレーズが想起され、ふと話してみたくなったのだ。
どうやら話がそこで終わりらしい事に気付いた熱斗が、物足りないとでも言うように口を開く。
「で、そのオジサンがどうかした?」
「ああ、友達って一体どんなものなのか聞いてみたいと思ってな」
そう、炎山が引っ掛かったのは、「友達と遊びたい盛りだろう」という、その一言。
もちろん辞書を開くまでもなく、“友達”という言葉の定義くらい知っている。何かしらの共通点――例えば通っている学校や職場、趣味、主義主張などなど――を持つ親しい知人の事だ。性別は勿論のこと、年齢や国籍、更には人間かどうかすら問われないらしい。
しかし、こんな問いを他人に投げ掛けている事からも明確なように、炎山にはそんな存在は居ない。知り合いは多いが殆どはビジネス上の付き合いだし、学校は籍を置いているだけに近い。たまに授業を受けに行く事はあっても大抵は途中で抜けてしまうので、級友と会話を交わした事は数えるほどしかない。そんな炎山にとって、“友達”という概念は未知のものだった。
だがしかし、現在、目の前に光熱斗が居る。
「お前ならよく知ってるだろう?」
炎山が知る限りで、彼ほど友人に恵まれている(というイメージのある)人物は居ない。主に友情と呼ばれる、金銭の絡まない人望がある――その点に於いて、炎山は熱斗を高く評価していた。
だからこそ彼を信頼し、この問いを投げた。

のだが。
「はぁぁぁあぁあ~??」
返ってきたのは物凄く不満そうな声と、馬鹿にしくさった表情だけだった。
折角彼を見込んで問うたのに、その返事がこれでは、炎山がムッとするのも当然だ。しかしそれは熱斗も同じらしい。それが不可解な炎山は不快感を隠さないまま疑問を投げる。
「何故そう不満気なんだ」
しかしそれがまた不満らしく、熱斗は炎山の数倍の怒気を込めて言い放った。
「友達に『トモダチってナニ?』なんて言われて不満にならない訳無いだろ!!」
「…は?」
一瞬の思考停止。その間にも熱斗は言い募る。
「だーかーらー、目の前にいるじゃん!友達が!」
自分を指差し炎山に迫る。
「オレだけじゃなくて他にもブルースとかライカとか名人さんとかメイルちゃん達とかうちのパパとかっ!みんなにも失礼だろ!!」
「…………」
時間をかけて熱斗の言葉を反芻する。
「…ともだち?お前やブルースが?」
「そーだよ!少なくともオレはそう思ってるし、皆だってきっと同じだ!
つか、じゃあお前は何だと思ってたんだよ!!」
逆ギレされた。果たしてそれほどの事なのだろうか…いやそれはともかく。
俺から見た熱斗、か。
ネット警察の同僚、NSとしての仲間、ライバル、光博士の息子、ロックマンのパートナー、短絡思考、おせっかい、ネットバトルバカ…幾つもの言葉が頭を通り過ぎて行くが、これだと言えるものが無かった。
「…いま悪口っぽいこと考えてただろー!!」
「何を根拠に」
「そういう目ぇしてたから!」
短絡思考、とかの辺りか。
自分の数倍生きている人間を相手取ったやり取りも少なくないためポーカーフェイスには自信があるのだが、時たまこのように熱斗には読まれてしまう。
普段はバカだが人の心理に関してだけは聡い。それがまた腹立たしくもある。
「ったく……。あ、もうこんな時間じゃん。そろそろ帰んないと」
時計を見上げた熱斗が腰を上げる。
連られて炎山もPC画面端の時計を見る。夕方から夜に差し掛かっていた。
「炎山、手」
いつの間にか机の脇に来ていた熱斗が自分に向かって手を差し出している。
「何だ?」
「あくしゅ!」
言うが早いか、熱斗は左手で炎山の右腕を掴み、むりやり握手させた。
炎山の右手に熱斗の手の体温が伝わる。コドモ体温の所為か、温かい。握手なんてビジネスの場でよくやっているが、相手の体温なんて意識したのは初めてだ。
何の責任も伴わない、お気楽で無意味な握手だが、不思議と相手への信頼感と親密感が湧いてくる。
「友達だからな!」
「ああ、そうだな」
友達。友達。理解したとは言い切れないが、少なくとも目の前の相手が無条件で信頼できること、相手も信頼してくれるであろうこと、そして何より対等な関係であることを確信した。
元より熱斗なんかに気兼ねなどしているつもりは無いが、ビジネス相手と対峙する時のような気負いが必要ないのだと、実感として得る。
「変な事を訊いて悪かった」
「分かればよろしい」
熱斗は大仰に頷いて手を放す。
「じゃ、また来るなーっ!」
満面の笑顔のまま駆け出す熱斗が副社長室の扉の向こうへ消えるのを見守った。

***

(友達、か)
部屋に残った炎山は、右手を見つめ、握ったり開いたりしてみる。
熱斗の手の感触が徐々に消え行くのがわかる。
(忘れたくない、だなんて)
たかが握手1つに、随分と固執している自分を発見する。感傷に浸り過ぎてしまったようだ。
(…仕事に戻ろう)
気分を切り替え、炎山はPCに向き直った。

あとがき

足掛け3年くらいかけて書いてたもの。の割には…って分量ですが。
炎山て根っこは愛に飢えてる子なんだけど、それを気にしないように強がってたらいつの間にか本当に気にならないようになった
…んだけど、それでもこうして誰かと触れ合う機会があるとちりっと当時の寂しさの残滓が頭をもたげる、
みたいな人だと良いなぁという妄想。

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2010.09.26 upload