未来予想図

 ミカヅチビルでの大鬼門を巡る戦いや神流との争いから一年が過ぎた頃。
ソーマは久しぶりにリクの家を訪れていた。

 自分がこの家で暮らした期間は、よく考えるとそんなに長くない。
しかしもう一年も経っただなんて嘘のように、些事まですっかり思い出せるのだ。
元々記憶力は良い方だが、今までの短い人生の中のどの期間より鮮明に記憶を取り出せるのだから、やはり自分にとって特別なのだろう。

 最寄駅からの道をぺとぺと歩きながら、手土産はこれで本当によかっただろうかと提げた包みを見遣る。
鴇色の風呂敷に包まれているのは、地元の近所にある和菓子詰め合わせ20ヶ入り。
こんな風に食べ物を持ってあの家に行くなんて、どっかの誰かさんみたいで嫌だったのだけど、いざ何かを、と考えると他にいい物が浮かばなかった。
――飢えてる、ってワケじゃないんだけど……なんだかなぁ。餌付け?

 そんな思考は途中でふっと掻き消えた。見慣れた生垣が見えたからだ。
はやる心を抑えつけて、一歩一歩を確かめつつ踏み進める。
年季の入った玄関の前に立ち、深呼吸。
ノックをする。
すると奥からパタパタと軽快な足音が聞こえ、近くで止まると、戸が開いた。
現れるのは予想通りの顔。

「お帰り、ソーマくん」

一年の月日なんて無かった様に、彼は微笑みながらそう言った。

「…ただいま」

自然と頬が綻んだのを自覚しつつ、ソーマも特別な挨拶を返した。

***

「お茶淹れるね」
「うん、頼む」

リクが引っ込むのを見届けてから、辺りを見回す。
一年ぶりに入る太刀花の家は、どこか活気が無いように感じられた。
自分が住んでいた頃だってそんなに賑やかではなかったが、当時よりは明らかにひと気がない。
暫くして戻ってきたリクに思ったとおりを伝えると、彼は幾分かトーンを下げた声で教えてくれた。

ナズナは元居た京都の神社に戻ったこと。
未だに祖父が帰らないこと。
そして、コゲンタは契約満了で消えてしまったこと。

「それじゃ、リク、今……」
「でもボート部のみんなもよく来てくれるし、進級して新しいお友達も出来たし、大丈夫だよ」

平静を装い微笑むリクに、全然大丈夫じゃない表情で言うなよ、とは流石に言えなかった。

***

 ソーマが来てから、リクは暫く彼の話を聞いていた。
その内容は主に2つに分けられた。
崩壊しかけたミカヅチグループを、残っていた地流闘神士が力を合わせてなんとか持ち直したこと。
それにより仲間意識が高まり、前のように表舞台には出ないけれど、細々と地流は続いていきそうなこと。
ソーマも手伝っていたが、目が回るように忙しかったこと――と、地流とミカヅチグループの話。
お父さんが、封印されてる間の世相の話を聞いて驚くのが面白かったこと。
お母さんが、ものすごく久しぶりに家事をしたから2,3日は料理が酷かったこと。
お兄さんが、お父さんと喧嘩して家を出てしまい、でもまた帰って来たのが嬉しかったこと――家族の話。
どちらも今の自分には想像のつかない世界で、聞いてて楽しかった。

しかしその会話の端々で、ソーマがふ、と表情を曇らせて見つめてくる事があった。
会話の中身がその理由でないことは考えるまでもなく判り、となると自分が原因だろうとは思い当たったが、自覚がないのでどうすることも出来ない。
ただ、あまりいい予感がしないので、とにかくいつも通りに微笑みながら聞いていた。
しかし、それは無意味に終わった。

「リク、
 ……ボク、ここに残るよ」
「…え?」

一通り話し終わり沈黙が漂った一瞬後のソーマの“宣言”。
最初は聞き間違いかと思った。
しかし何度記憶を反芻しても、それは『ここに残る』以外の音ではないと確認させるだけだ。

「…なんでそんなこと言うの。
 あんなに…あんなに家族みんなで暮らしたいって言ってたじゃない…!
 今だってそんな、楽しそうに喋って…」

普段は強がっているソーマが話してくれた事があった。
兄と志が異なってしまったのが寂しい、と。
また一緒に暮らしたい、と。
涙を堪えながら言っていたのに。

「そうだよ。
 でもボクがそうして“楽しく”喋ってる時、お前はどんな表情してたと思う?」

首を振る。そんなの知らない。

「…泣きそうだった」

そんな事は言われたって判らない。
けれど、この場で肯定してはいけない事だけは解る。

「…そんなこと、無いよ」
「無くない。
 今は一人って聞いたのに家族の話なんかしたボクが悪いよ、でも、
 でも…こんな状態のリクを放っとくなんて、出来ない」

家族の居ない辛さは解ってるつもりだ、と呟くソーマの声は、いつもの明朗さを失っていた。

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

沈黙が続いたが、先に口を開いたのはリクだった。

「……だめだよ」
「え?」

正直、彼の申し出は願ってもないものだった。
久しぶりに今日やって来ると聞いた日から、リクが心のどこかで願っていたのも事実。
けれど、彼には帰ったら家で待っている家族が居る。

家の戸を開けた瞬間、「お帰り」と言ってくれる人が。

「せっかく家族が居るのに、離れて暮らすなんてだめだよっ!
 家族は……家族なんだから、一緒に居なきゃ…、」

「リクだってオレの家族だ!!」

「――――…!」

息を飲んだ。

「さっきも言ったけど、向こうは大丈夫。
 ボク一人くらい欠けても、兄さんには父さんと母さん、それにミヅキさんも居る。
 でもリクは…」

目を逸らしたくなるほど真っ直ぐな視線に射抜かれる。

「リクは…ボクしか居ないじゃないか」
「…ソーマくん」

そんなの、反則だ。
折角独りに慣れてきたのに。
誰にも心配かけないよう頑張ってきたのに。

今まで張り詰めていた糸が、きつく固めた決意が、緩んでしまう。

お客が来てる時以外、家で言葉を発しなくなって。
一人分しか布団を敷かないのにも慣れて。
苦手な料理だって少しは作れるようになって。
ふいに寂しくなり誰かの声を聞きたくて電話の前に立った事など数知れなくて、でも受話器は取れなくて。
独りで泣いて、次の朝には笑顔で学校へ行っていたのに。

やっと独りでも平気になったのに。

「なんで……今更」

リクの言葉が苦々しく響く。
こんな可能性もあるとソーマは密かに考えていた。
でも大丈夫だろうと、理由もなく楽観していた自分に気付く。

何がどう“大丈夫”なんだ!

家族のいない寂しさは知っていた筈なのに、自分は何をしていたのだろう。
ろくに連絡すら取らずに。

確かに忙しくはあった。地流の誰もがミカヅチ関係の事後処理に奔走していた。
日本の政治経済の一端を担っていた大企業だ、崩壊したら一般人にまで被害が及ぶ。
それを食い止めるため、まだ記憶を無くしていない仲間を集め、連携を取り、揺れていた子会社を纏め直した。
打つ手が早かったのと的確だったのとが功を奏し、元の通りとまではいかないまでも、どうにか崩壊は免れた。

それらの指示を出していたのが実はソーマだったりする。
“手伝った”なんて簡単なものじゃなく、運営関係の全ての責任が回ってきた。
本当の地流宗家かつ全取締・ミカヅチに全てを託された兄のユーマがやるのが本来は妥当だったのだが、その兄はある程度の重役を集めたところで「オレには向いていない」などと言って、許婚と隠居してしまった。
そこでスポットライトが当たったのがソーマである。
ユーマの弟であるということ、若くして既に大学卒業(しかも専攻が経済)という経歴が見込まれ、引きずり出されたのだ。
元々10歳にも満たない子供まで社員として雇っていたような企業だったが、ここまで見境がないと思わなかった。
しかし、自分が必死で身につけた知識を実際に使うというのは考えていたよりずっと難解かつ魅力的で、大変ながらも遣り甲斐を感じつつこなしてしまった。
その結果、どうにかミカヅチグループが瓦解することは防げたのだった。
そんな目の回るような日々が少しだけ落ち着き、やっと纏まった休みが取れたから、と来てみるとこのザマだ。

「リク、それは……っ!
 ……ごめん」

謝ることしか出来なかった。
気にしていなかった訳ではない。
むしろ、居候させてくれた、居場所を与えてくれた礼を言おうとずっと思っていたのだ。
忙しさにかまけて疎かにしていた自分が悪い。
涙が流れそうになるのを堪える。

「……って」
「え?」

低い呟きが聞き取れず、リクを見遣る。

「出てって!」
「………………リク」

泣いて、いた。

仕方がないと思った。
こんな事になってるかもしれないと考えていたのに、何もしなかった自分が。

「…ごめん、もう来ない」
「違うよ」

風呂敷を掴みポケットに突っ込むと同時に、立ち上がろうとした時だった。
温かい声が耳をくすぐる。

「キミには待ってる人が大勢居るんでしょ?
 こんな所に居ちゃ駄目だよ……だから、出てって。」
「うん……」
「でも、」

顔を上げると、リクは微笑んでいた。
本来の、優しさの滲み出ているいつもの笑みを浮かべて。

「疲れたら、その時はいつでも帰って来て。
 ずっと……ずっと、待ってるから。いつでも歓迎するから」
「リク……」

自分を犠牲にしてでも誰かを包み込む優しさ。
隣で見ている時は痛々しいだけだったが、実際に包まれる側になると実感する。
あたたかい。
ここまでされたら、誰もが立ち上がれるように、歩けるようになるだろう。
努力せずにはいられないから。
手を貸してくれた、背中を押してくれた彼のためにも、と。

「…うん、また来る」

――次来る時は、自分が彼を支えてあげられるような人間になっていよう。
そして、今度こそ寂しい思いをさせないように。
(……だから、それまで待っててくれ、リク)

あとがき

リッくんは悲しい事も寂しい事も、辛いこと全部飲み込んでずっと微笑んでいそうだなぁ、とか。
一度は同じ境遇に居たソーマくんならそれを見抜いてあげられるんじゃないかと、こんな感じのが出来ました。
ソマリクコンビは共依存が基本ですが、今回は一歩進めて「依存からの脱却」を目指してみたですよ。

…って、コゲンタはリッくんが1人になりそうだったらムリヤリ契約伸ばしそうな気もしますけど。
ソウタロウさん(おじいちゃん)も戻ってくるだろうし。
でもこういう設定じゃないと色んな都合が…悲しい目に遭わせてゴメンよリッくん。

ソーマくん周辺の設定が1番書いてて楽しかったかもしれませんw
こういう特に重要でない設定を付加することで作品に厚みが……出てるんでしょうか。
つかユーマくんが激しくダメ人間ぽいですね、この書き方だと。そんなつもりは無かったのに……。

アニメが進むにつれて辻褄が合わない個所が多々出てきそうですが、それはもう気にしないで下さい。
これ書き終わった時はまだ44話だったので。パラレルってことで。
最後に、横書きだと数字はアラビア数字なんですけど、
陰陽の世界観的にどうだろう?と思ったので漢数字にしましたことをお詫びしておきます。
ではでは、読了ありがとうございましたー。

放送終了後の追記

ちょ、マジでヅチビルで社長職に就いてたよ!!!
俺の読みが当たったのか、ここ見てくれたスタッフさんが採用してくれたのかw(ありえないから)
とにかく、自分の妄想がほぼそのまま公式に沿えてたので嬉しいです。
あとリッくんは普通に契約満了しててよかった。

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2007.06.08 upload